戦国武将の話 ~頑張るおじいちゃん~
どうもこんにちはこんばんは!待望の(?)戦国武将の話です。
今回は歳を取っても前線で戦う老将をピックアップしてみました。
あとついでに、信長の野望の能力値の画像も載せてみました。
信長の野望をプレイしたことない方は、統率:兵を率いる力、武勇:個人的な剣や槍の能力、知略:謀略を考える頭脳、政治:内政や外交の適正 で、100点満点で点数がつけられてると思っていただければ!
参考程度にご覧になってください。
それでは早速紹介の方どうぞ!
和久宗是
和久 宗是(わく そうぜ)1535年~1615年 享年81歳
この武将は聞き覚えのない方が多いのではないかと思います。僕も信長の野望で顔グラフィックの髭が凄い人ぐらいの印象でしたが、調べてみるとなかなか凄い
和久宗是は四国・近畿地方にかけて大きな勢力を誇った三好家家臣の子として生まれ(1535)、その後近畿において織田信長が台頭してくるとそれに従い、本能寺の変(1582)によって信長が死んで以降は豊臣秀吉に仕えたようです。
それから時は流れて1614年、豊臣家と徳川家による大坂の陣が起こります。1600年に石田家と徳川家によって起こされた関ケ原の戦いと違い、大阪の陣では豊臣方に勝機はほとんどなかったのですが、和久宗是は義理堅く豊臣方に味方。
上の列伝でも紹介されている通り、81歳の宗是は甲冑の替わりに白装束を着て、槍を手にし単騎で徳川勢へ突入し討死したそうです。
なんだこの爺さん!? 81歳で槍持って突撃ってなんだよ(困惑)
令和元年現在の男性の平均寿命が81歳だそうですから、今の感覚より当時の人達はもっと驚いたことでしょう。
そもそも戦場に赴いてること自体がやべぇよ...やべぇよ...
矢沢頼綱
矢沢 頼綱(やざわ よりつな)1518年~1597年 享年80歳
列伝にもある通り、真田幸隆という武将の弟で、あの有名な真田幸村の大叔父に当たる人です。
2016年に放送された大河ドラマ「真田丸」にも登場しており、頑固なおじいちゃんキャラで真田一族を悩ませることも...実際史実でも血の気が多かった様子
矢沢頼綱属する真田家は武田家に仕えていましたが、1582年、織田・徳川・北条3家による侵攻によって武田家は滅ぼされてしまいます。
武田家を滅ぼされたため織田家に従った真田家でしたが、さらに同年本能寺の変が起こってしまい織田家は内部分裂を起こします。真田家の領土は長野県北部~群馬県北西部でしたが、短期間の間に武田・織田家と主家を失った長野・群馬県の大名や豪族の中で混乱が起こり、その混乱に乗じて周囲の北条や徳川といった大名が侵攻してきました。
この時矢沢頼綱(64)が覚醒します。
まず1582年、頼綱の居城である沼田城に5000の兵で攻めてきた北条に対したった500の兵で籠城し撃退。
その後真田家と北条家の和睦が進み、沼田を明け渡すよう使者が送られてきましたが頼綱は問答無用でこれを殺害。しかも3度も。(使者が死者にw)
当然これに怒った北条は30000もの兵で再び沼田に攻めてきますが伏兵、火計などの手段を使ってこれも寡兵で撃退。
さらに翌年、今度は倍以上の70000の兵で侵攻してきましたが、これも退路の橋を断ったり鉄砲を撃ちかけるなど敵兵を巧みに混乱させまた撃退。
さらに翌年1587年にも北条が攻めてくるもまたまた撃退。
ついに豊臣秀吉の仲介が入るまで北条は沼田城を頼綱から奪い取ることは叶いませんでした。
還暦を迎えているとは思えない戦いっぷり
真田家にとっても頼りの綱だったのかもしれません。頼綱だけに。\\ドッ//
龍造寺家兼
龍造寺 家兼(りゅうぞうじ いえかね)1454年~1546年 享年93歳
1454年、肥前の国人である龍造寺氏13代当主・龍造寺康家の五男として誕生。
当初五男として分家である水ヶ江龍造寺家を興してその祖となったそうですが、本家が衰退していったことで家兼はその補佐をすることになります。補佐をしていく中で家兼はその実力を遺憾なく発揮し、ついには本家の実権を掌握し龍造寺家の主家である少弐(しょうに)家の筆頭家老にまで上り詰めました。
しかし、少弐家が大内家に攻められた際に動こうとしなかったことが原因で同じ少弐家家臣、馬場頼周と対立。その頼周の策謀によって息子や孫がことごとく暗殺されてしまいました。家兼自身も追い込まれ、蒲池鑑盛という武将の元へ逃げ込むことになります。
家兼このときすでに90歳、高齢であるという事から厳しい追及を受けずに生き延びたそうです。
馬場頼周もまさか反撃があるとは思ってなかったんでしょうが...翌1546年、家兼挙兵
蒲池鑑盛・鍋島清房らの援護を受け、その年に馬場頼周を討って龍造寺氏を再興してしまいます。
改めて確認しますが1546年は家兼の没年であり、このとき90歳を超えています。なんだこのバイタリティー
93歳で御家の再興を成し遂げた家兼は、家督をひ孫の龍造寺隆信に託して死去
古今東西色々な偉人がいますが、90歳で再興を果たした人物はそうはいないでしょう
ちなみに「武士道といふは死ぬことと心得たり」で有名な葉隠の口述者、山本常朝。実はこの龍造寺家兼の子孫、肥前国佐賀藩主鍋島光茂の家臣で、葉隠の中には龍造寺隆信やその弟鍋島直茂の名前も出てきます。中身も結構面白いこと書いてあるのでオススメ!
阿蘇惟光
阿蘇 惟光(あそ これみつ)1582年~1593年 享年12歳
最期におまけ
大往生をする武将がいれば早世する武将ももちろんいて...
肥後熊本の阿蘇惟光は叔父、父の相次ぐ死去により2歳で当主にされ、12歳の時豊臣秀吉に一揆の扇動を疑われ斬首されました。かなC
信長の野望動画ではその生い立ちや顔グラフィックなどからよくネタにされています。実は一部の大人より能力が高かったり...
余談ですが信長の野望の画像を引っ張ってくるときに「あそこれみつ(何故か一発変換できない)」で画像検索したらパソコンの画面が肌色で埋め尽くされて困惑しました。
よくよく考えたら平仮名はそうなるに決まってるんだよなぁ...
良い子は検索しないようにしましょう^^^^^^
それではまた!
参考
和久宗是
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E4%B9%85%E5%AE%97%E6%98%AF
http://tikugo.com/osaka/busho/date/b-waku-sou.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E6%B2%A2%E9%A0%BC%E7%B6%B1
https://senjp.com/yazawa-yorithuna/
https://dic.nicovideo.jp/a/%E7%9F%A2%E6%B2%A2%E9%A0%BC%E7%B6%B1
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E9%80%A0%E5%AF%BA%E5%AE%B6%E5%85%BC
https://dic.nicovideo.jp/a/%E9%BE%8D%E9%80%A0%E5%AF%BA%E5%AE%B6%E5%85%BC
阿蘇惟光
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E8%98%87%E6%83%9F%E5%85%89
https://dic.nicovideo.jp/a/%E9%98%BF%E8%98%87%E6%83%9F%E5%85%89
その他
https://www.nicovideo.jp/mylist/22454699